22年振りにイタリアを旅行しました

定年退職後に海外旅行をするつもりはありませんでしたが、イタリアだけはもう一度行きたくなり旅行を計画しました。「ツアー旅行と個人旅行のどちらにするか」迷いましたが、ツアー旅行(旅行日程:2019年3月19日(火)~29日(金))を初めて選択しました。今回は余計な事に煩わされず、安心して旅行したいと思ったからです。其々の良い点・悪い点が分かりましたので、先ずそこから整理しておきます。


1.ツアー旅行の良かった点・悪かった点(個人旅行と比較して)

(1-1)良かった点
①トラブル発生時にフォローして頂けると思うと、気分的に楽でした。以前にもヒースロー空港で乗り継ぎをしたことがありましたが、ターミナルの移動時に間違えてはいけないと思い緊張しました。また飛行機が遅れ、ホテルへ移動の交通手段とチェックイン時間を心配しました。今回は添乗員さんのお陰で、そんなことを気にする必要は一切ありませんでした。

②スーツケースを運んで頂けるのは、助かりました。個人旅行では、空港・駅・ホテル間は自分で運ばなければならないので、ツアーの様に効率的に複数の都市を巡ることは難しいと思います。

③ジャルパックの様な旅行会社では、現地スタッフの方が情報を収集しておられ、とても効率よく観光地を巡る旅が可能です。前回のフィレンチェでは、ウフィツィ美術館が突然休館したり、次の日も開館が一時間遅れたりといった目に合いました。

(1-2)悪かった点
①予定時間が決まっているので、美術館などでもっと見たい絵画や彫刻があっても鑑賞することができませんでした。特にウフィツィ美術館とヴァチカン美術館は、私に取って最低一日は必要でした。

②費用的にはツアー旅行の方が高くなります。22年前旅行した時と比べ円はその後デフレにもかかわらず安過ぎますから、前回と比較するのも良くありませんが、2倍強の費用が掛かりました。

今の私だとツアー旅行を選択しますが、一都市滞在型の個人旅行で現地の生活スタイルに合わせる観光の楽しみ方も有ると思います。例えば、シエスタ(13~16時頃)の時には、食事をした後に一端ホテルに帰って休むのです。

それでは次に、22年前のイタリア旅行と比較し気付いた事が幾つかありましたので、以下に整理します。


2.22年前のイタリア旅行と比較し気付いた事

①物価が2倍近くまで上がっていて、非常に高く感じました。22年前のクレジットカード決済書と比べて見ても、レストランでの支払いは日本円換算(当時の通貨はリラ)で半額以下でした。 この様に感じるのは、デフレが長く続いた日本人だけかもしれません。

②保安検査が厳しく、乗り継ぎに予想以上の時間を要しました。私は9.11テロ事件以前しか海外渡航していませんでしたので、かなり厳しい検査だと感じました。要注意)ジャルパックのパンフレットでは、羽田の国内線と国際線の乗り継ぎ時間は往路60分以上・復路70分以上となっていますが、無理だと感じました。私は復路90分ありましたが、スーツケースを宅配に預けることとWi-Fiルーターの返却を諦めて、やっと国内線に搭乗できました。

③観光立国を目指す国が増えたからだと思いますが、観光客が増え、入館料が高くなり、予約が必要な美術館が増えました。実際に22年前の写真と比較したので間違いないと思います。特にフィレンチェの街全体、ローマのヴァチカン美術館では強く感じました。

それではいよいよ、今回イタリア旅行の具体的内容に触れて参ります。


3.旅行のテーマを設定

このツアー旅行のテーマは「悠久のイタリア世界遺産紀行」でした。私達夫婦が思い描いていたプランにフィットしていたので申し込んだのですが、今迄のイタリア旅行とは異なる視点で自分なりのテーマを決めて旅行したいと考えました。そこで過去2回のイタリア旅行を振り返り、少し進化した自分なりのテーマを設定しました。

一回目イタリア旅行の振り返り
(ミュンヘンから移動、ローマに四泊五日)
旅行ガイドで紹介されている所に行こうと決め、初日は昼食後に共和国広場からナチィオナーレ通りを南下しトレビの泉に行き、狭い道を抜けてスペイン広場に辿り着きました。その後コンドッティ通りからコルソ通りに入り、ポポロ広場とピンチョの丘まで散歩しました。買い物とカフェを楽しむには良い散歩コースだと感じました。

二日目はテルミニ駅から路線バスでヴァチカンに移動、降車すると正面にサン・ピエトロ大聖堂と広場が目に入り、その壮大さに大変感動しました。また、ヴァチカン美術館のシスティーナ礼拝堂では、ミケランジェロ「修復中の最後の審判(祭壇画)」「天地創造(天井画)」を鑑賞しました。要注意)ヴァチカン美術館への移動は、地下鉄を利用しオッタヴィアーノ駅で下車する方が分かり易いです。二回目はそうしました。

三日目はツアーに参加し、ポンペイの遺跡を見に行きました。

四日目はコロッセオとフォロロマーノに行き、買い物もしました。

こうして振り返って見ると、その観光名所に行ったことと食文化に満足しているだけでした。「古代ローマ帝国」に関してはある程度の知識を持っていましたが、「ルネサンス」に関する知識が不足していました。そのため歴史と文化に触れた旅行が、十分に楽しめていなかったのです。

サン・ピエトロ大聖堂のドーム 地上120mから見た広場の全景(22年前に撮影)

二回目イタリア旅行の振り返り
(前泊ローマ二泊三日、フィレンチェに五泊、後泊ローマ一泊二日)
もっと「ルネサンス」の知識を習得してイタリアを旅行すると、楽しいし面白いだろうと思い、 NHKのLD「ルネサンス5巻」と一冊の本「フィレンツェ美術散歩(宮下孝晴著)」を読み、ルネサンス発祥の地フィレンチェを旅行することにしました。最初ローマに二泊したのは、ヴァチカン美術館システィーナ礼拝堂の修復が完了した「最後の審判」を見るだけでなく、ラファエロの間,絵画館,ピオ・クレメンティーノ美術館などを巡り、時間を掛けて絵画と彫刻を鑑賞するためでした。最後ローマに一泊した際は、前回見ることができなかったパンテオンに行きました

二回目のイタリア旅行では、 「フィレンツェ美術散歩」で紹介されていた殆どの教会や美術館に行きました。ルネサンスで活躍した画家・建築家の作品を十分鑑賞でき、彼らを庇護したメディチ家・ローマ教皇の存在も理解できました。

サン・ピエトロ大聖堂のドームから見たヴァチカン美術館の全景(22年前に撮影)

今回のツアー旅行では、六都市を巡ることに着目しました。ルネサンスの発祥はフィレンツェですが、イタリアの各都市やヨーロッパに広く伝わりました。各都市にどの様にしてルネサンスが広まり、フィレンツェとの関係はどうだったのか。自分なりのテーマは、「六都市の世界遺産と美術館を巡りながら、各都市とルネサンスの関係を探る」に決めました。いよいよ楽しいイタリア旅行の始まりです。


4.ミラノでの観光ポイント
(4-1)レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
修復家ピニン・ブランビッラさんが20年掛けて大修復され、名画を蘇らせたことに感謝します。修復前の写真と比較し、期待した以上に鮮明に修復されていました。聖書画「最後の晩餐」を主題とした絵画は、多くの美術館や聖堂に存在する様で、三日後に行くこととなったフィレンツェのサン・マルコ修道院の食堂だった部屋に描かれているギルランダイオ作「最後の晩餐」と比較してみることにしました。ヴェネツィアのアカデミア美術館に飾られているヴェロネーゼ作「レヴィ家の饗宴」とも比較してみたかったのですが、残念なことに10室が閉鎖となっていて鑑賞できませんでした。 ※「レヴィ家の饗宴」は「最後の晩餐」として描かれましたが、余りに世俗的な表現が多く題名を変更せざるを得なかった様です。 参考文献:週刊 世界の美術館52 講談社

※ 聖堂に描かれた壁画や天井画は、殆どが13世紀イタリアのトスカーナ地方で技法が確立されたフレスコ画と言われています。フレスコ画の特徴として「耐久力の強い色彩」が理由の様ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」はテンペラ画を採用しています。ギルランダイオの方はフレスコ画を採用しており、耐久力の差が良くわかります。参考文献:週刊 世界遺産14 講談社

サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院食堂 ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
サン・マルコ修道院食堂 ギルランダイオ「最後の晩餐」

(4-2)サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院
身廊部はゴシック様式、奥の内陣はルネサンス様式で、二つの様式を備えています。当時のミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァが一族の霊廟にしたいと考え、大半が完成していたゴシック様式の建物をルネサンス様式に改築する様、建築家ブラマンテ(後にサン・ピエトロ大聖堂改築の設計をしました)に命じ、レオナルド・ダ・ヴィンチに「最後の晩餐」を描かせました。ダ・ヴィンチの20代は、ボッティチェッリなどと共に、メディチ家の豪華王ロレンツォに庇護されていました。ロレンツォは諸国との争いを避けるため、ミラノにダ・ビンチ、ローマにボッティチェッリ、ヴェネツィアにヴェロッキオを紹介しました。それにより、フィレンチェ芸術(即ちルネサンス)がミラノに伝わったのでしょう。 ※ システィーナ礼拝堂両側の窓の下に、「モーセ伝」「キリストの生涯」を題材にした連作壁画がありますが、フィレンチェからロレンツォが紹介したボッティチェッリ,ギルランダイオによる競作になります。 参考文献:週刊 世界遺産7 講談社,週刊 世界の美術館3 講談社

サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院

(4-3)ミラノ大聖堂
スカラ座側からガレリアを抜けると、大聖堂と広場に出ました。外観は多くの尖塔や贅沢な装飾で華やかに飾られており、ピンクがかった白の大理石の美しさに圧倒されました。一方で内部は巨大な石柱が立ち並び、聖書の物語が描かれた巨大なステンドグラスもあり、荘厳かつ敬虔な空気に包まれていました。いかにもゴシック建築を思わせる大聖堂です。

ガレリア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
ミラノ大聖堂の外観(正面)
ミラノ大聖堂の外観(側面)
ミラノ大聖堂の内部

(4-4)ミラノの食文化、その他
・ミラノ風リゾットとカツレツはとても美味しかったです。
・現地説明員の方が仰っていましたが、ミラノデザインはミラノで軍服をデザインしていたことが影響している様です。軍服はデザインに凝りますからね。


5.ヴェネツィアでの観光ポイント
(5-1)ゴンドラに乗船し大運河と小運河を巡る
車や鉄道で入れない水上タクシーでの移動に、不思議な感覚を抱きながらも浮き浮きした気持ちになりました。翌日もそんな想いを巡らせつつ、ゴンドラに乗船しました。ゴンドラで巡る大運河と小運河は、波が穏やかで揺れることはありません。一方、水上タクシーでヴェネツィアに出入りする時は、波がありかなり揺れました。水の都ならではのビデオ1件と写真5枚を紹介します。

リアルト橋付近の大運河をゴンドラで移動中
ゴンドラ乗船中に撮影した大運河沿いの建築群
リアルト橋から眺めた大運河、左に船着き場、右にゴンドラ乗り場
朝日を浴びたサン・マルコ広場の船着き場
ヴェネツィアを水上タクシーで離れる

(5-2)ドッカーレ宮殿と共和国
ヴェネツィアの人々に取って最も誇れること、それは千年続いた共和国制だと言うことが、現地説明員さんのお話を聞いていて良くわかりました。その証拠が、ここドッカーレ宮殿内にあります。自由と独立を維持するため三権分立の場があり、牢獄まであります。内閣に当たる所が「元老院の間」、国会に当たる所が「大評議会の間」です。カサノヴァの脱出劇で有名な牢獄へは、裁判所に隣接した拷問の部屋から「溜め息の橋」を渡って行きます。外国の要人は「黄金の階段」を上り、控室を通り「謁見の間」で総督に会う流れになっています。

ヴェネツィアの威厳と権威を示すため、どの部屋にもヴェネツィアを代表する画家ティントレットとヴェロネーゼの豪華な絵画が飾られています。 鮮やかな色彩を巧みに用いるヴェロネーゼの絵は、絢爛です。黒を多用し明暗の対比を強調するティントレットの絵は、神秘的です。ドッカーレ宮殿の装飾には、その特徴が十分に活かされていました。外交の場には権威と華やかさが、政治を司る場には威厳と権威が必要なのでしょう。ドッカーレ宮殿で最も知られている絵画は、世界最大の油彩画ティントレット「天国」ですが、「大評議会の間」上座に飾るには最も相応しいと感じました。

サン・マルコ大聖堂のバルコニーから見たドッカーレ宮殿
謁見の間
元老院の間(上座)
元老院の間(下座)
溜め息の橋

(5-3)サン・マルコ大聖堂と広場
今回の旅行で訪れた六都市は、いずれも立派な大聖堂が町のランドマークとなっています。ヴェネツィアでは、必ずサン・マルコ大聖堂に戻れる様な案内表示となっており、意外でしたが道に迷うことはありませんでした。

前日観光したミラノ大聖堂とサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の印象が強いせいか、殆どの大聖堂は13~14世紀に創建されたゴシック様式だと思い込んでいましたが、ここは外観も内部も東方の香り漂うビザンティン様式でした。8世紀までビザンティン帝国の支配下にあり、独立後(9~18世紀)は東方との交易で巨万の富を得たヴェネチアだからと理解しました。最近あるテレビ番組で知ったのですが、ヴェネツィアから近いパドヴァの大聖堂もビザンティン様式でした。

ファサードに金色のモザイクで施された半円形の壁画も光り輝いていましたが、内部の壁と天井全体に描かれた金色のモザイク画には、驚きと感動でした。

サン・マルコ大聖堂と広場
サン・マルコ大聖堂のバルコニーから眺めたサン・マルコ広場

(5-4)アカデミア美術館 ー ヴェネツィア派ルネサンス ー
ヴェネツィア派ルネサンスを探るため、ヴェネツィアを代表する画家(ジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ヴェロネーゼ)の作品を鑑賞して来ました。ドッカーレ宮殿に飾られている絵を見て、色彩がヴェネチア派の特徴だと感じていましたが、その再確認ができました。週刊 世界の美術館52(講談社)に、分かり易い説明がありましたので紹介します。「水上都市ヴェネツィアでは、湿気による大気の揺らぎ、動く水面に反射する光の中で、色彩表現が追及された。15世紀後半、ヴェネツィアは、ベリーニ工房を中心にフランドルやイタリア諸都市の影響を受ける。独自に油彩技法を発展させたジョルジョーネは、柔らかな濃淡表現を確立。これを受け継いだティツィアーノは、油彩技法の可能性を追求した。また、ティントレットは黒を多用した光の効果を駆使し、神秘的な明暗表現を行い、ヴェロネーゼは、明るい色彩の並置による効果に専念した」

フィレンツェ派と異なる個性を発揮できたのは、独立心の強いヴェネツィアならではと思いますが、ヴァザーリ「美術家列伝」には、ヴェネツィア派はダ・ヴィンチの影響下で生まれたと記してある様です。

(5-5)ヴェネツィアの食文化、その他
・宿泊したホテルで夕食に頂いたイカ墨のパスタ,白身魚の料理は、とても美味しかったです。また翌日、リアルト橋に近いレストランで昼食に頂いた蟹料理の前菜,ヴェネツィア風リゾット,アサリのパスタも美味しかったです。ヴェネツィアでは、魚料理をオーダーするのが良いと思います。
・1720年に開店したカフェ・フローリアンは、雰囲気がヴェネツィアらしくて良かったです。

18世紀に誕生したサン・マルコ広場のカフェ・フローリアン


6.フィレンツェでの観光ポイント
(6-1)サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
車の乗り入れが制限されているので、フィレンツェは空気が澄んでいて空の色も真っ青です。そのおかげで白・緑・ピンクの大理石で建設された大聖堂は、より一層美しく見えました。

22年前に来た時は、並んで待つこともなく大聖堂と博物館に入れましたし、クーポラの上とジョットの鐘楼にも上ることができました。今回その予定はありませんでしたが、入館された方は並んで待つのが大変だったと思います。それぐらい、観光客が増えていました。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
ジョットの鐘楼
ジョットの鐘楼頂上84mから見た大聖堂(22年前)

(6-2)ウフィツィ美術館
黎明期(ジョット,マザッチオ)~ 初期(フィリッポ・リッピ,ボッティチェリ)~ 盛期(レオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロ,ラファエロ)~ マニエリスム(ポントルモ,ブロンズィーノ)、 三階~二階を順路通りに回れば、ルネサンス絵画を年代順に鑑賞できる様に並べてありました。観光客が多くて撮影は殆どできませんでしたが、1枚だけ上手く撮影できましたので、掲載しておきます。

ウフィツィ美術館に行くなら、画家の師弟関係やライバル関係を知っておくべきだと思います。折角ですから、週刊 世界遺産45 講談社を参考に、簡単に整理しておきます。

◎フィリッポ・リッピの生家は、アルノ川の左岸、カルミネ教会の近く。教会内のブランカッチ礼拝堂にあるマザッチオの壁画を模写していた。

◎ボッティチェリの師匠がフィリッポ・リッピで、息子フィリッピーノ・リッピの師匠がボッティチェリ。ボッティチェリの生家は、アルノ川右岸、オニサンティ教会の近く。

◎レオナルド・ダ・ビンチの師匠がヴェロッキオで、師弟共作の作品「キリストの洗礼」がウフィツィ美術館にある。

レオナルド・ダ・ビンチ「受胎告知」

(6-3)メディチ家とサン・マルコ修道院
自由行動日がありましたので、メディチ家ゆかりの場所とサン・マルコ修道院に行ってきました。15~16世紀、ルネサンスがイタリアから西ヨーロッパに拡大した頃、メディチ家は金融業を営むフィレンツェの権力者でした。この大富豪のメディチ家と対局にあったのが、敬虔なサン・マルコ修道院の修道士です。

①メディチ リッカルディ宮,ヴェッキオ宮
メディチ家ゆかりの場所は、他にもピッティ宮,サン・ロレンツォ聖堂がありますが、前回入館しましたので、今回はこの二ヶ所に行きました。ボッティチェリや三巨匠を庇護し、ヨーロッパにルネッサンスを広めたのは、メディチ家の功績です。フィレンツェ観光でルネサンスの絵画・彫刻や建築に触れるなら、メディチ家の主だった人物と庇護した芸術家を知っておくべきだと思います。折角ですから、週刊 世界遺産7 講談社を参考にし、整理しておきます。

◎コジモ・イル・ヴェッキオ(1389~1464)
フィレンツェの町を整備し、フィリッポ・リッピをはじめ多くの芸術家を庇護するなど、”ルネサンスの都”フィレンツェを築いた。

◎ロレンツォ・イル・マニフィコ(1449~1492)
初期~盛期ルネサンスに活躍した芸術家、ボッティチェリ,ヴェロッキオ,ギルランダイオ,レオナルド・ダ・ヴィンチを庇護し、統治者としては諸国友好のため、芸術家のパトロンとしてはフィレンツェ芸術(即ちルネサンス)をヨーロッパに広めるため、彼らを各国に派遣した。また、14歳のミケランジェロを自宅に引き取り育てた。リッカルディ宮殿内にあるメディチ家の礼拝堂に、ゴッツォーリ「東方三博士の旅」が描かれているが、三博士は青年、壮年、老年の王という人生の三段階を表す。白馬に乗ったロレンツォは、青年の王として描かれた。

◎ジョバンニ(1475~1521)
1513年、史上最年少の37歳で教皇レオ10世に選出された(メディチ家から誕生した教皇は、教皇クレメンス7世と合わせて二人) ラファエロら芸術家を寵愛し、豪奢な生活を謳歌した。おかげで教皇庁の財政は破綻し、それを補うために行われた聖職売買、免罪符の発行は宗教改革のきっかけとなった。

◎コジモ1世(1519~1574)
フィレンツェの領土拡大と軍備強化に貢献した絶対君主。妻エレオノーラのためにピッティ宮を手に入れ、息子の結婚式に合わせてヴァザーリの回廊を造らせた。ヴァザーリやマニエリスムの画家ブロンズィーノを庇護した。ブロンズィーノ作「エレオノーラの肖像画」は、ウフィツィ美術館の二階に飾ってありました。22年前は、三階のトリブーナにあったと記憶しています。

◎アンナ・マリア・ルイーザ(1667~1743)
”最後のメディチ”と呼ばれ、ピッティ宮で生涯を閉じた。遺言によってメディチ家所有の建物や美術品は、永久にフィレンツェから持ち出さないとの条件で、全てトスカーナ大公国に寄贈された。

ゴッツォーリ「東方三博士の旅」
ヴェッキオ宮

②サン・マルコ修道院
宮下孝晴著「フィレンツェ美術散歩」に記されていました。
(フィレンツェの歴史に今もサン・マルコがその名を強烈に留めているのは、この修道院を拠点として活躍した二人の僧ゆえです。言うまでもなく、画家のフラ・アンジェリコと、やがてフィレンツェの政権をも握るサヴォナローラです)

◎フラ・アンジェリコについて
同世代のフィリッポ・リッピと同じく僧にして画家です。”破戒僧”と呼ばれたフィリッポ・リッピ、”天使のような修道士”と呼ばれたフラ・アンジェリコでは、行動において対局にありますが、どちらの作品も愛に満ちた優しい絵に見えます。ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵 「東方三博士の礼拝」 が共作、と言われているのは驚きです。

フラ・アンジェリコ「受胎告知」
フラ・アンジェリコ「聖ドメニコの跪く磔刑図」

◎サヴォナローラについて
サン・マルコ修道院の院長となったサヴォナローラは、フィレンツェの堕落した享楽生活を批判しました。その頃の不思議な天変地異や、世紀末の翳りを背景に、フィレンツェの人々はサヴォナローラの予言に傾倒していき、遂に1494年、メディチ家をフィレンチェから追放(1512年に帰還)しました。一方でサヴォナローラは、1498年5月23日、偽予言者として同じフィレンツェの人々に捕らえられ、シニョーリア広場で絞首刑の後に火刑に処せられました。サン・マルコ修道院院長室には、サヴォナローラの遺品が保管されていました。フラ・バルトロメオ作「サヴォナローラの肖像画」で人物像を想像することができます。

(6-4)フィレンチェの食文化,その他
・フィオレンティーナ,フィレ肉のステーキ、何度食しても美味しかったです。レストランの軒先に窓ガラス越しに見える様、T字型の骨付き肉が置いてありました。
・ジェラートはフィレンチェが発祥の地だそうです。

フィレ肉のステーキ
フィオレンティーナのスライス
鰯のマリネ
ミケランジェロ広場からの眺め


7.シエナでの観光ポイント
(7-1)シエナ大聖堂
トスカーナ地方の覇権をフィレンツェと争っていたシエナですから、装飾に独自性と趣を凝らし、より大きな大聖堂を求め増改築を計画していた様です。ルネサンス期においても、フィレンツェ派とは趣の異なる保守的な画風(ゴシック様式に対して)を志向し、シエナ派と言われました。ウフィツィ美術館最初の部屋に、ルネサンス黎明期の作品として、ジョット作「荘厳の聖母」,シモーネ・マルティーニ作「受胎告知」が展示されており、違いが良くわかります。

床面の象嵌細工
丸天井
主祭壇とアーチ形の身廊天井
説教壇

(7-2)カンポ広場
大聖堂と一体となった広くて美しい広場として、サン・マルコ広場,サン・ピエトロ広場が目に残っています。パリオ祭で有名なここカンポ広場は、それらに加えとても寛ぐことのできる広場でした。訪れたのが日曜日だったからなのか、多くの人が日光浴を楽しんでいました。

トスカーナ地方の覇権をフィレンツェと争っていた頃、皇帝派にシエナ、教皇派にフィレンツェが付いたと聞きました。1283年に最初のパリオ祭が開催された起源は、ローマ時代の軍事訓練だったそうです。

カンポ広場

(7-3)シエナの食文化,その他
・シエナにもバンクシーがやって来た様です。

覆面アーティスト バンクシーの絵?


8.アッシジでの観光ポイント
(8-1)聖キアラ聖堂
キリストがフランチェスコに語り掛けた「十字架図」がありました。

聖キアラ聖堂

(8-2)聖フランチェスコ大聖堂
ジョットの描いた壁画の連作「聖フランチェスコの生涯」を見ました。フィレンツェのフランチェスコ会に属するサンタ・クローチェ教会の礼拝堂にも、ジョット作の壁画「聖フランチェスコの死」「聖女キアラの像」が描かれていたことを思い出しました。

聖フランチェスコ大聖堂

(8-3)アッシジの食文化,その他
・オリーブ畑の中をバスで移動すると、美しいアッシジの町が見えてきます。中でも、聖フランチェスコ大聖堂は、ひときわ目立ちます。
・町の中心部に位置する市庁舎前に、紀元前一世紀に建設されたミネルバ神殿が残っていました。これらの建築物により、 古代ローマ帝国発展の歴史がわかります。

アッシジの町と聖フランチェスコ大聖堂
市庁舎前広場 古代ローマ時代の神殿


9.ローマでの観光ポイント
(9-1)ヴァチカン美術館
訪問者のお目当ては、システィーナ礼拝堂でミケランジェロ「最後の審判」「天地創造」を見ることです。修復前の全体的に汚れた感じの色と比べ、鮮明に修復されていました。

ユリウス二世から「天地創造を描くよう」言われた際、「私は彫刻家です。画家ではありません」と抵抗したことが伝えられています。ここでは、彫刻家としてのミケランジェロの作品に触れてみたいと思います。

22年前にフィレンツェのバルジェロ博物館で「酒神バッカス」「トンド・ピッティ聖母子像」、アカデミア美術館で「ダヴィデ像」、サン・ロレンツォ聖堂で「曙・夕暮・昼・夜」を鑑賞しました。今回はローマのサン・ピエトロ大聖堂で「ピエタ」、サン・ピエトロ・ヴィンコリ教会で「モーセ像」を鑑賞しました。それで、これらの作品を年代順に並べてみることにしました。ミケランジェロが影響を受けたと言われる、ピオ・クレメンティーノ美術館(ヴァチカン美術館内)に飾られている古代ギリシャ彫刻「トルソ」「ラオコーン」に触れたのは、恐らくユリウス二世在位の頃(1503~1513年)で、その前後で作品を比較してみると良いなと考えたからです。

・1499年  :「酒神バッカス」
・1500年  :「ピエタ」
・1503年  :「トンド・ピッティ聖母子像」
・1504年  :「ダヴィデ像」

・1505~1545年:ユリウス二世墓廟
(サン・ピエトロ・ヴィンコリ教会の「モーセ像」)
・1520年以降:「曙・夕暮・昼・夜」

・1508~1512年:天井画「天地創造」
・1536~1541年:祭壇画「最後の審判」

システィーナ礼拝堂 ミケランジェロの祭壇画「最後の審判」、天井画「天地創造」(22年前に撮影)
ミケランジェロ作「ピエタ」(22年前に撮影)
トルソ(22年前に撮影)
ラオコーン(22年前に撮影)
アカデミア美術館 ミケランジェロ作「ダヴィデ像」
サン・ピエトロ・ヴィンコリ教会 ミケランジェロ作「モーセ像」

(9-2)サン・ピエトロ大聖堂と広場
今回拝見することのできた六都市の大聖堂では、其々の都市国家の強い個性やパッションを感じることができました。大聖堂から醸し出される壮大さ・美しさ・優しさ等は、その強い思いによるものなのでしょう。

歴代の教皇たちが築き上げたこのヴァチカンの象徴は、其々が壮大な大聖堂と広場でありながら、お互いの調和の素晴らしさに感動しました。

クーポラ、主祭殿、玉座

(9-3)ローマでのお勧め散歩2コース
ローマを半日から終日で巡るお勧めの散歩コースをがあります。観光だけなら半日コースですが、ゆっくり買い物や食事をしながらカフェも楽しむのであれば、終日と考えて下さい。二つのコースをご紹介します。

①共和国広場に隣接したグランドホテルは、ロビーの椅子に座るだけでも価値があります。このホテルでトイレ休憩を済ませた後、 共和国広場からナツィオナーレ通りを南下し、トレヴィの泉に行きます。トリトーネ通りに出て狭い道を抜ければ、スペイン広場に辿り着きます。その後コンドッティ通り・コルソ通りを、ポポロ広場とピンチョの丘まで歩きます。ポポロ広場のカフェで休憩した後、ピンチョの丘に上り、ローマ市内を眺めるのは良いですよ。この散歩コースにはカフェが沢山あります。また色々なお店もあり、買い物を楽しむには打って付けの散歩コースです(26年前、一回目のローマ旅行の際に歩いたコースです。今回はミニバスで移動し、トレヴィの泉・スペイン広場にだけ立ち寄りました)

トレヴィの泉
スペイン広場

②テルミニ駅からカヴール通りを南下し、フォリ・インペリアーリまで散歩します。途中、ローマ四大聖堂の一つ「サンタ・マリア・マッジョーレ教会」、ミケランジェロのモーセ像がある「サン・ピエトロ・ヴィンコリ教会」に立ち寄ります。次は、フォリ・インペリアーリ通りからヴェネツィア広場を通って、カンピドリオの丘に上ります。先ずローマ市庁舎とミケランジェロが設計した広場を見て、カンピドリオの丘からコロッセオ,フォロ・ロマーノを眺めると、聖なる道・元老院・凱旋門・神殿が目に入ります。ローマ皇帝の凱旋行進は、ここを抜けカンピドリオの丘を目指したと知ると、感慨深い気持ちになります。

サンタ・マリア・マッジョーレ教会(カヴール通り側は裏側になります)
サン・ピエトロ・ヴィンコリ教会、祭壇右手にミケランジェロ作「モーセ像」がある
ローマ市庁舎とカンピドリオ広場
カンピドリオの丘から眺めるフォロ・ロマーノとコロッセオ

(9-4)ローマの食文化、その他
ローマ観光に当たり、三点の知識を得て置くべきだと思います。
①ルネサンス期の絵画や彫刻は、殆どが宗教をテーマとしていますので、キリスト教に関する基礎知識は必要です。週刊 世界遺産5 講談社 にコンパクトにまとめてありました。ポイントのみ列挙します。
◎なぜイエスは磔刑にされたのか
◎イエスが行った有名な説教とは
◎十二使徒、イエスの直弟子とは誰か
◎「旧約聖書」「新約聖書」の概要
◎宗教改革、プロテスタントの誕生
◎キリスト教の教派はいくつあるか

②古代ローマ帝国反映の基礎を築いた”カエサル”

③ローマ帝国が東西に分裂するまで約420年間の皇帝たち
◎「パクス・ロマーナに導いた初代皇帝」”アウグストゥス”
◎「虐殺・放火・放蕩の暴君」”ネロ”
◎「元老院に認められた軍人皇帝」”トラヤヌス”
◎「パンテオンを建設した建築家皇帝」”ハドリアヌス”
◎「分割統治を制度化した皇帝」”ディオクレティアヌス”
◎「キリスト教を公認した皇帝」”コンスタンティヌス”

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